菅原伏見東陵(読み)すがはらのふしみのひがしりよう

日本歴史地名大系 「菅原伏見東陵」の解説

菅原伏見東陵
すがはらのふしみのひがしりよう

[現在地名]奈良市尼辻町小字西池

垂仁天皇陵。「日本書紀」垂仁天皇九九年一二月一〇日条に「菅原伏見陵に葬りまつる」、「古事記」垂仁天皇段に「御陵は菅原の御立野の中に在り」、「続日本紀」霊亀元年(七一五)四月九日条に「櫛見山陵生目入日子伊佐知天皇之陵也、宛守陵三戸」、「延喜式」(諸陵寮)に「菅原伏見東陵纏向珠城宮御宇垂仁天皇、在大和国添下郡、兆域東西二町、南北二町、陵戸二烟、守戸三烟」とあり、櫛見くしみ山陵ともいわれ、「日本霊異記」には「犬養宿禰真老は、諾楽の京の活目の陵の北の佐岐の村に居住す」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む