日本歴史地名大系 「斎音寺村」の解説 斎音寺村さいおんじむら 奈良県:北葛城郡広陵町斎音寺村[現在地名]広陵町大字三吉(みつよし)馬見(うまみ)丘陵と高田(たかだ)川の間、寺戸(てらど)村の南方に立地。中世、済恩寺とも書く(「春日社記録」中臣祐賢記)。現在、三吉の通称斉音寺として残る。慶長郷帳では西恩寺村、元和郷帳では済恩寺村、万治郷帳では斎恩寺村とみえる。慶長郷帳では村高六一六・八三石で御番衆領。元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領となり、廃藩置県に至る。その間、郡山藩の二割半無地高増政策で村高は七七四・二五石となる。 斎音寺村さいおんじむら 奈良県:奈良市西ノ京地区斎音寺村[現在地名]奈良市尼辻(あまがつじ)町付近興福院(こんぶいん)村の南に所在し、秋篠(あきしの)川両岸にわたる。慶長郷帳・元和郷帳には西音寺(さいおんじ)村、寛永郷帳には西遠寺(さいおんじ)村とみえ、村高一〇三四・八一石。慶長郷帳では幕府領(代官大久保長安)。元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領、のち同藩の二割半無地高増政策により村高一二九三・〇三石。享和郷帳では村高のうち四一三・三六石が「斎音寺村之内北野村」、四七六・二九三石が「三条村・北三条村」、三六三・三七七石が「東新村」とみえ、免状でも北野(きたの)村・三条(さんじよう)村・北三条村・東新(ひがししん)村と高分しているが、独立の自治村になっていたかは未詳。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by