垂仁天皇(読み)すいにんてんのう

  • すいにんてんのう ‥テンワウ
  • すいにんてんのう〔テンワウ〕
  • 垂仁天皇 すいにんてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

第 11代に数えられる天皇。名はイクメイリヒコイサチノミコト。崇神天皇の第3皇子。母はオオヒコノミコトの娘,皇后ミマキヒメノミコト。立太子,崇神天皇の死により翌年即位。大和纏向珠城宮した。初め開化天皇の孫サオヒメノミコトを皇后としたが,皇后の兄サオヒコのをしずめたときに皇后は自殺してしまったので,丹波道主王の娘ヒハスヒメノミコトを皇后とした。神託により伊勢国に斎宮を建て皇女ヤマトヒメノミコトにアマテラスオオミカミを祀らせた。内宮の起源である。また諸社の神地,神戸を定め,埴輪をもって殉死に代え,池溝を開いて農業をすすめたと伝えられる。陵墓は奈良市尼辻町の菅原伏見東陵。

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百科事典マイペディアの解説

日本書紀》にみえる天皇。和風諡号(しごう)は活目入彦五十狭茅(いくめいりひこいさち)天皇,崇神(すじん)天皇の第3子,母は皇后御間城(みまき)姫,宮は纏向珠城(まきむくのたまき)宮,陵墓は菅原伏見(すがはらのふしみ)陵。兄狭穂彦(さほびこ)王の反乱で皇后狭穂姫を失い,日葉酢媛(ひばすひめ)命を皇后にたて,景行天皇らをもうけた。伊勢斎宮の成立,農業用池溝の開削石上(いそのかみ)神宮(現奈良県天理市)の神宝に関する記事,相撲埴輪起源説話などが記される。
→関連項目忍坂狭山池

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

記・紀系譜による第11代天皇。
父は崇神(すじん)天皇。母は御間城姫(みまきひめ)。「日本書紀」によると,都は纏向(まきむく)の珠城(たまきの)宮。伊勢(いせ)に斎宮をたて,殉死を禁止して埴輪(はにわ)に代えさせ,農業のために池や溝800余をつくり,田道間守(たじまもり)に不老長寿の非時(ときじく)の香菓(かぐのみ)()をもとめさせたという。垂仁天皇99年7月1日死去。140歳。墓所は菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)(奈良市)。別名は活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

古事記』『日本書紀』に第11代と伝えられる天皇。大和の纏向の珠城宮に都したという活目入彦五十狭茅天皇。崇神天皇の第3皇子で,母は大彦命の娘の御間城姫。景行天皇の父。この天皇にかかわる話は多いが,特に皇后の狭穂姫とその兄狭穂彦をめぐる話と,皇子である誉津別命をめぐる話が有名。皇后の狭穂姫がその兄に天皇の殺害を命じられたが,果たせずに天皇に事情を話した。天皇がをととのえて狭穂彦を焼き殺そうとすると,皇后は兄のもとへ走り,一緒に焼け死んだ。皇后の生んだ誉津別は成人しても何も物がいえなかったが,天皇の尽力によってそれが治ったという。そのほか,この天皇の代に起こったこととして祭祀に関するいくつかのできごとが語られているが,いずれの話も神話的要素が強く現実性が薄い。

(佐佐木隆)

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世界大百科事典 第2版の解説

第11代に数えられる天皇。活目入彦五十狭茅(いくめいりひこいさち)命という。父の崇神(すじん)天皇(御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命)とともにイリヒコの名を持ち,実在を認められる4世紀の天皇である。記紀には皇后狭穂姫(さほびめ)を巻きこんだ兄狭穂彦(さほびこ)反乱の物語(狭穂彦・狭穂姫),誉津別(ほむつわけ)命の物語,加羅(から)国皇子の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)渡来の物語,新羅皇子の天日槍あめのひぼこ)の渡来とその神宝をめぐる物語,田道間守(たじまもり)の物語,殉死の禁止と埴輪の起源伝承,石上(いそのかみ)神宮の神宝管理伝承などをこの天皇の代のこととして語っている。

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大辞林 第三版の解説

記紀所伝の第一一代天皇。活目入彦五十狭茅尊いくめいりびこいさちのみことの漢風諡号しごう。崇神天皇の第三皇子。都は大和国纏向珠城まきむくのたまき宮。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

皇室系譜に第11代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさちのみこと)。崇神(すじん)天皇の第3子で、母は御間城姫(みまきひめ)。垂仁元年即位、初めの皇后狭穂姫(さぼひめ)は兄狭穂彦の謀反の際に自殺、同15年に丹波道主王(たにはのちぬしのおおきみ)の女(むすめ)日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)を皇后とした。纏向(まきむく)(奈良県桜井市の北部)の珠城宮(たまきのみや)に都し、同99年、140歳(『古事記』では153歳)で没して菅原伏見陵(すがはらのふしみのみさざき)に葬られたという。[星野良作]

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精選版 日本国語大辞典の解説

第一一代天皇。崇神(すじん)天皇の第三皇子。名は活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)。母は御間城姫(みまきひめ)。「日本書紀」によれば、纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)に遷都、殉死を禁じて埴輪(はにわ)をもってこれに代え、諸国に池溝を開かせて農業を奨励し、在位九九年で没。

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