改訂新版 世界大百科事典 「新田部親王」の意味・わかりやすい解説
新田部親王 (にいたべしんのう)
生没年:?-735(天平7)
天武天皇の第7皇子。〈にたべしんのう〉ともいう。母は藤原鎌足の女,五百重娘(大原大刀自)。元正~聖武朝に重用され,《万葉集》に関係歌がある。官位は700年(文武4)浄広弐から,聖武天皇即位の724年(神亀1)一品に至る。この間719年(養老3)舎人親王とともに皇太子(聖武)の輔翼を命ぜられ,内舎人2人,大舎人4人,衛士20人を賜い,封戸は1500戸に達した。720年藤原不比等の没後,知五衛及授刀舎人事となる。この地位は大将軍ともされた。729年(天平1)左大臣長屋王の変では舎人親王たちと王の窮問にあたり,翌年神祇官曹司などへの落雷を神祇官を率いて卜した。731年畿内惣官と諸国鎮撫使を置いたとき,畿内大惣官となるなど,軍事面に活躍した。735年没し,舎人親王の弔を受けた。子の塩焼王,道祖王(ふなどおう)などをはじめ子孫に非業の死をとげたものも多いが,氷上真人,三原朝臣姓をなのった。唐招提寺はもと親王の邸址で,没官されたものが鑑真に下賜された。
執筆者:水野 柳太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報