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新田部親王 にいたべしんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

新田部親王
にいたべしんのう

[生]?
[没]天平7(735).9.30. 奈良
天武天皇の第7皇子。道祖王の父。母は藤原鎌足の娘,五百重娘。養老3 (719) 年舎人親王とともに皇太子 (のちの聖武天皇) を補佐し,内舎人2人,大舎人4人,衛士 20人,封戸 500を授けられた。神亀1 (724) 年聖武天皇の即位により一品に進み,天平3 (731) 年畿内に惣管,諸道に鎮撫使がおかれると,大惣管となった。唐招提寺は,親王の旧宅地を鑑真に授けて創建されたものである。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

新田部親王 にいたべしんのう

?-735 奈良時代,天武天皇の第7皇子。
母は五百重娘(いおえのいらつめ)。舎人(とねり)親王とともに皇太子首(おびとの)皇子(のちの聖武(しょうむ)天皇)を補佐。藤原不比等(ふひと)の死後,軍事を掌握し,神亀(じんき)6年(729)長屋王の変では王を尋問した。天平(てんぴょう)3年畿内大惣管。天平7年9月30日死去。唐招提寺(とうしょうだいじ)は親王の旧宅跡にたてられている。

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世界大百科事典 第2版の解説

にいたべしんのう【新田部親王】

?‐735(天平7)
天武天皇の第7皇子。〈にたべしんのう〉ともいう。母は藤原鎌足の女,五百重娘(大原大刀自)。元正~聖武朝に重用され,《万葉集》に関係歌がある。官位は700年(文武4)浄広弐から,聖武天皇即位の724年(神亀1)一品に至る。この間719年(養老3)舎人親王とともに皇太子(聖武)の輔翼を命ぜられ,内舎人2人,大舎人4人,衛士20人を賜い,封戸は1500戸に達した。720年藤原不比等の没後,知五衛及授刀舎人事となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

新田部親王
にいたべしんのう
(?―735)

天武(てんむ)天皇の第七皇子。母は藤原鎌足(かまたり)の女五百重娘(むすめいおえのいらつめ)。719年(養老3)舎人(とねり)親王とともに皇太子首(おびと)皇子(後の聖式(しょうむ)天皇)を輔佐(ほさ)せしめられ、内舎人2人、大舎人4人、衛士(えじ)20人を賜い、封500戸を増し、前に通じて1500戸の厚遇を受けた。ときに位は二品(にほん)。翌年藤原不比等(ふひと)が死ぬと知五衛および授刀舎人事に任ぜられ、軍事を一手に掌握した。724年(神亀1)一品に昇る。729年(天平1)長屋王の変には王の罪を窮問した。731年畿内(きない)に惣管(そうかん)、諸道に鎮撫(ちんぶ)使が置かれたとき、大惣管に任ぜられた。唐招提寺(とうしょうだいじ)は親王の旧宅を鑑真(がんじん)に与え、そこに建てられた。その子に塩焼(しおやき)王、道祖(ふなど)王がある。天平(てんぴょう)7年9月30日没。[横田健一]

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世界大百科事典内の新田部親王の言及

【新田部親王】より

…天武天皇の第7皇子。〈にたべしんのう〉ともいう。母は藤原鎌足の女,五百重娘(大原大刀自)。元正~聖武朝に重用され,《万葉集》に関係歌がある。官位は700年(文武4)浄広弐から,聖武天皇即位の724年(神亀1)一品に至る。この間719年(養老3)舎人親王とともに皇太子(聖武)の輔翼を命ぜられ,内舎人2人,大舎人4人,衛士20人を賜い,封戸は1500戸に達した。720年藤原不比等の没後,知五衛及授刀舎人事となる。…

※「新田部親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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