日本歴史地名大系 「菅原新田」の解説 菅原新田すがわらしんでん 栃木県:上都賀郡西方村菅原新田[現在地名]西方村金井(かない)和久井(わくい)村・金井(かない)村の西、小倉(おぐら)川西岸の平坦地を中心に金井・新宿(あらじゆく)・古宿(ふるじゆく)・峯(みね)・深見内(ふかみうち)・田谷(たや)・下宿(しもじゆく)各村および富張(とみはり)村(現都賀町)の八村の入会地内に散在。元文五年(一七四〇)に江戸の町人鳥屋磯五郎によって西方郷の入会原野や川原などが開発されて成立したという。天保郷帳に村名がみえ、高一三三石余。改革組合村では幕府領で幕末まで同じ。 菅原新田すがわらしんでん 埼玉県:上尾市菅原新田[現在地名]上尾市領家(りようけ)・藤波(ふじなみ)二丁目領家村の北にある。同村と下川田谷(しもかわたや)村(現桶川市)境にある荒沢(あらざわ)沼の縁辺と川田谷村内の荒地を、宝暦年中(一七五一―六四)荒川対岸の比企郡八ッ林(やつばやし)村(現川島町)の村民が開拓して成立した。天保郷帳に村名が記される。幕府代官により宝暦六年検地を受け、幕府領。足立郡石戸(いしと)領に属する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by