日本歴史地名大系 「菅又村」の解説 菅又村すがまたむら 茨城県:那珂郡大宮町菅又村[現在地名]大宮町若林(わかばやし)玉(たま)川が村の東を流れ、川を境にして部垂(へたれ)村と対する。久慈川の部垂村高和田(たかわだ)河岸と那珂川の小野(おの)村下(しも)河岸間の陸路が東西に通り、その道と玉川流域の東野(とうの)村などから水戸城下への陸路との結節地点でもある。「新編常陸国誌」には「鹿島社久寿二年神領目録ニ、菅又トアリ、中世藤原氏小田ノ一族、此ニ住シテ、菅又氏トナル、其城址、今存ス」とある。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高には「菅俣村」と記され、同二一年の御知行割郷帳に「菅又村」とみえる。「水府志料」によると戸数およそ六八。天保一三年(一八四二)引田(ひきた)村と合併して若林村と改称した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by