江戸後期の洒落本作者。谷我とも書く。本名は反町(そりまち)三郎助,通称与左衛門。上総国久留里黒田藩士で,江戸本所埋堀(うめぼり)に居住したのでこの筆名がある。梅月堂梶人(かじんど)の名で洒落本《青楼五雁金(せいろういつつかりがね)》(1788)と続編《染抜五所紋(そめぬきいつところもん)》(1790)があり,1790年(寛政2)の《文選臥坐(もんぜんござ)》中の〈河東の艶詞〉に初めて梅暮里谷我の名を用いた。遊客遊女の愛情による筋の変化を求める作風を示したが,98年の《傾城買二筋道(けいせいかいふたすじみち)》が好評を博し,田螺(たにし)金魚の作風を追う感傷的な人情描写の作風を確立し,二編《廓(さと)の癖》(1799),三編《宵の程》(1800)と続編を伴って男女の真情を描く新傾向を招来した。以後《契情買言告鳥(けいせいかいいいつげどり)》(1800),《甲子夜話(きのえねやわ)》(1801)など後編続編を持つ作品が多く,後の人情本の基礎を作った。幕末の戯作者萩原乙彦(おとひこ)が2世谷峨を継いだ。
執筆者:水野 稔
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(中野三敏)
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江戸後期の戯作者(げさくしゃ)。通称反町(そりまち)三郎助、のち与左衛門。上総(かずさ)(千葉県)久留里(くるり)藩の江戸詰め藩士で、本所埋堀(うめぼり)の藩邸に住んだ。晩年に読本(よみほん)、人情本の作もあるが、本領は洒落本(しゃれぼん)にある。代表作は1798年(寛政10)刊『傾城買二筋道(けいせいかいふたすじみち)』と翌年の後編『郭の癖(くるわのくせ)』、翌々年の三編『宵の程(よいのほど)』である。それまでの洒落本と違って、客と遊女の恋の真情を描き、以後の洒落本の作風を決定し洒落本が人情本へ移る契機をつくった。寛政(かんせい)の改革以降の、末期洒落本の作風を代表する作者である。
[神保五彌]
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