萩原福田村(読み)はいばらふくだむら

日本歴史地名大系 「萩原福田村」の解説

萩原福田村
はいばらふくだむら

[現在地名]大和町福田ふくだ

萩原村の東に位置し、備後国世羅郡に属した。周辺の山地椋梨むくなし川支流の徳良とくら川の水源地帯を形成する。村名は、萩原村からの分離によるとも、福田村を称する村が多いので萩原を上に付したともいう。北西部、萩原村との境付近に円墳(筑紫一号・二号墳)がある。徳良川上流域の平坦地に展開する耕地には、条里制の遺構が認められる。元和五年(一六一九)の備後国知行帳に「灰原福田村」とあり、村高三七九石七斗七升八合。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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