萩森城跡(読み)はぎもりじようあと

日本歴史地名大系 「萩森城跡」の解説

萩森城跡
はぎもりじようあと

[現在地名]八幡浜市大平

大平おおひらの東標高約二〇〇メートルの山にあり、砦跡らしい平坦地がある。

「宇和旧記」によれば、大洲おおず屋形の宇都宮清綱は嫡子豊綱に大洲城を譲り、次男房綱・三男吉之允を連れて、八幡浜萩森城に隠居して萩森殿と称し、保内ほない郷の内七千八〇〇石を知行した。房綱家来侍帳に八一人の旗下衆が列挙されている。また「宇和旧記」は一説として、大洲城主は宇都宮総州(法名異賢)で、嫡男が豊綱、次男が房綱で、豊綱に大洲城を譲ったという。

宇都宮氏について、「予章記」は宇都宮朝綱が梶原景時を射殺した功で喜多きた郡を与えられたともいい、「西国太平記」は関東の宇都宮公綱が足利尊氏から伊予国を賜り、大洲城にいたことに始まるという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む