落合豊三郎(読み)オチアイ トヨサブロウ

20世紀日本人名事典 「落合豊三郎」の解説

落合 豊三郎
オチアイ トヨサブロウ

明治・大正期の陸軍中将



生年
文久1年2月29日(1861年)

没年
昭和9(1934)年9月31日

出身地
出雲国(島根県)

学歴〔年〕
陸士(第3期)〔明治13年〕卒,陸大〔明治19年〕卒

経歴
松江藩士の三男として生まれる。陸軍士官学校工兵科に進み、明治19年工兵出身として初めて陸軍大学校を卒業。ドイツイタリアの公使館付武官を経て、32年要塞整備を担当する参謀本部第5部長に就任日露戦争には第2軍参謀長として出征、38年満州軍総兵站監部参謀長。43年中将。大正3年東京湾要塞司令官。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「落合豊三郎」の解説

落合豊三郎

没年:昭和9.9.31(1934)
生年:文久1.2.29(1861.4.8)
明治期の陸軍軍人。松江藩士落合鍬蔵,たけの3男。明治13(1880)年陸軍士官学校工兵科卒,19年陸軍大学校卒業。工兵としては初の陸大出身者。参謀本部,陸大勤務を経て26~27年にドイツ,29~30年にはイタリアで公使館付武官,32~39年には参謀本部第5部長を務めた。第5部は要塞整備を担当したが存続期間が短く,専任で部長に任じられたのは落合だけである。日露戦争(1904~05)に当たっては,第2軍参謀長として出征したが作戦指導が慎重すぎるとして遼陽会戦後更迭され,満州軍参謀などを経て,38年5月新設の満州軍総兵站監部参謀長。43年陸軍中将に進み,大正3(1914)年東京湾要塞司令官を最後に予備役となる。貴重な工兵畑の参謀で,要塞にも精通していたが,日露戦争では,野戦軍の参謀長だったため,専門知識が生かしにくかった。

(鈴木淳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「落合豊三郎」の解説

落合豊三郎 おちあい-とよさぶろう

1861-1934 明治-大正時代の軍人。
文久元年2月28日生まれ。出雲(いずも)松江藩士の子。工兵出身で,明治32年から参謀本部第五部長として要塞整備につとめる。満州軍総兵站監部参謀長,交通兵旅団長などをへて41年工兵監。43年陸軍中将。大正3年東京湾要塞司令官をつとめた。昭和9年3月31日死去。74歳。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「落合豊三郎」の解説

落合 豊三郎 (おちあい とよさぶろう)

生年月日:1861年2月29日
明治時代;大正時代の陸軍軍人。中将;東京湾要塞司令官
1934年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android