日本歴史地名大系 「葦北庄」の解説 葦北庄あしきたのしよう 熊本県:葦北郡葦北庄現在の葦北郡・水俣(みなまた)市および八代市南部などに比定され、旧葦北郡一帯を占める郡名荘。葦北七浦とよばれる日奈久(ひなぐ)・二見(ふたみ)(現八代市)、田浦(たのうら)(現田浦町)、佐敷(さしき)(現芦北町)、津奈木(つなぎ)(現津奈木町)、水俣(現水俣市)、久多良木(くだらぎ)(現八代郡坂本村)の八代海に面した各地域よりなる。荘成立の時期や立荘の経緯、本所・領家などについてはいっさい不明。荘名の初見は、文保二年(一三一八)七月五日の北条高時書下(詫摩文書)で、葦北庄佐敷・久多良木両浦を「任葛西殿御時例」、長崎治部左衛門尉宗行(法名道一)に安堵したものである。これはおそらく地頭職と思われ、「葛西殿」は鎌倉葛西(かさい)ヶ谷(やつ)に住んだ北条一門のかなり有力な女性と考えられる(永仁六年五月二〇日「順性御物以下注進状案」青方文書、年月日未詳「某書状」金沢文庫文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by