江戸後期の俳人。姓は成田。通称は彦助。本名は久左衛門利定。金沢の人。加賀藩士,弓馬術の達人。1790年(寛政2)に京都の闌更に師事し,洛東山双林寺中に住む。師の没後遺志に従い,芭蕉堂2世を継ぐ。のち南無庵と称し,梅室とともに京俳壇を二分する地位につき,鳳朗を加えて天保の三大家と言われた。1830年(天保1)に芭蕉堂を千崖に譲り,のち八坂に対塔庵を結んで俳壇を退いた。遅吟の質で刻苦勉励に努め,門人への指導も厳しかった。北枝・希因の俳系を経て蕉風の流れをくむ彼の作品は,平明素直でかつ巧みな客観写生の〈炭俵〉調である。が反面通俗に堕し,天保期月並調の難を否定しえない。句集は《対塔庵蒼虬句集》など。〈我たてるけむりは人の秋の暮〉(《訂正蒼虬翁句集》)。
執筆者:石川 真弘
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