デジタル大辞泉
「成田蒼虬」の意味・読み・例文・類語
なりた‐そうきゅう〔‐サウキウ〕【成田蒼虬】
[1761~1842]江戸後期の俳人。金沢の人。名は利定。高桑闌更に学び、師の没後、京都に出て東山双林寺の芭蕉堂を守り、各地を遊歴。句集「蒼虬翁句集」「蒼虬翁俳諧集」。
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なりた‐そうきゅう【成田蒼虬】
- 江戸後期の俳人。南無庵二世・対塔庵。加賀国(石川県)金沢の人。高桑闌更に俳諧を学び、闌更没後は芭蕉堂二世を継いだ。句集に「蒼虬翁句集」「蒼虬翁俳諧集」など。宝暦一一~天保一三年(一七六一‐一八四二)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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成田蒼虬 なりた-そうきゅう
1761-1842 江戸時代後期の俳人。
宝暦11年生まれ。もと金沢藩士。高桑闌更(らんこう)門の上田馬来にまなぶ。のち京都にいき闌更に師事し,芭蕉堂後継者となる。全国をめぐりあるき天保(てんぽう)俳壇の重鎮として活躍。天保13年3月13日死去。82歳。加賀(石川県)出身。名は利定。通称は彦助,久左衛門。別号に槐庵,南無庵,対塔庵。句集に「蒼虬翁句集」など。
【格言など】いつ暮れて水田の上の春の月(「訂正蒼虬翁句集」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の成田蒼虬の言及
【蒼虬】より
…江戸後期の俳人。姓は成田。通称は彦助。本名は久左衛門利定。金沢の人。加賀藩士,弓馬術の達人。1790年(寛政2)に京都の闌更に師事し,洛東山双林寺中に住む。師の没後遺志に従い,芭蕉堂2世を継ぐ。のち南無庵と称し,[梅室]とともに京俳壇を二分する地位につき,[鳳朗]を加えて天保の三大家と言われた。1830年(天保1)に芭蕉堂を千崖に譲り,のち八坂に対塔庵を結んで俳壇を退いた。遅吟の質で刻苦勉励に努め,門人への指導も厳しかった。…
※「成田蒼虬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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