蓼倉庄(読み)たでくらのしよう

日本歴史地名大系 「蓼倉庄」の解説

蓼倉庄
たでくらのしよう

和名抄」にみえる愛宕おたぎ蓼倉たてくら郷が荘園となったものと推定され、現在下鴨蓼倉しもがもたでくら町の名を残す下鴨社の北の一帯を中心とし、東は高野たかの川を越え、田中たなか村をも含んでいたという(京都府愛宕郡村志)が、確定しがたい。

蓼倉の名は「山城国風土記」逸文に三井社の所在地「蓼倉里」として初見、永久元年(一一一三)一二月の玄蕃寮牒案(柳原家記録)に「松崎陵戸 (朱)愛宕おたき郡」」の項のうちに「たて倉里十二坪五段」とあり、荘園となる直接の前身と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む