日本歴史地名大系 「蓼倉庄」の解説 蓼倉庄たでくらのしよう 京都市:左京区下鴨村蓼倉庄「和名抄」にみえる愛宕(おたぎ)郡蓼倉(たてくら)郷が荘園となったものと推定され、現在下鴨蓼倉(しもがもたでくら)町の名を残す下鴨社の北の一帯を中心とし、東は高野(たかの)川を越え、田中(たなか)村をも含んでいたという(京都府愛宕郡村志)が、確定しがたい。蓼倉の名は「山城国風土記」逸文に三井社の所在地「蓼倉里」として初見、永久元年(一一一三)一二月の玄蕃寮牒案(柳原家記録)に「松崎陵戸 (朱)「愛宕(おたき)郡」」の項のうちに「蓼(たて)倉里十二坪五段」とあり、荘園となる直接の前身と思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by