蓼川村(読み)たでかわむら

日本歴史地名大系 「蓼川村」の解説

蓼川村
たでかわむら

[現在地名]綾瀬市蓼川たてかわ

南は本蓼川ほんたでかわ村、西は深谷ふかや村、北は上草柳かみそうやぎ(現大和市)かしわ(現海老名市)、東は下草柳しもそうやぎ(現大和市)福田ふくだ(現同市)に接する。西北および深谷村の清水が蓼川となり南流する。東西に横浜道、南北に八王子道が通る。

元禄国絵図に「蓼川村」とみえる。「風土記稿」によれば古は立川野と称して近村入会山野で、元和七年(一六二一)には藤沢宿の小沢吉右衛門が預り、寛文九年(一六六九)その孫吉右衛門が新田を開発し、幕府代官成瀬重治が検地、立川野を改めて蓼川新田村と称したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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