日本歴史地名大系 「深谷村」の解説
深谷村
ふかだにむら
深谷村
ふかやむら
- 神奈川県:綾瀬市
- 深谷村
東境を
寛元三年(一二四五)五月一一日の渋谷定心置文(県史一)に「ふかや」「しもふかや」がみえ、渋谷氏一族の所領で、「ふかや」は幕府から人夫要請があった場合負担することが決められており、「大庭御まき」を引く時には、「ふかや・ふち心のさいけ」は一〇〇文を、「おちあひ・しもふかや」では二〇〇文の銭を負担するとされた。一方「かみふかや」は正応元年(一二八八)六月二七日の関東安堵下知状(県史二)で、渋谷重村の「吉田庄上深谷郷内田在家」に対する支配が安堵された。
深谷村
ふかたにむら
深谷村
ふかやむら
- 宮城県:白石市
- 深谷村
北蔵王連峰の東側裾野から白石川河畔の地域にあり、北は
深谷村
ふかやむら
深谷村
ふかやむら
深谷村
ふかだにむら
- 福井県:小浜市
- 深谷村
谷口西方の
深谷村
ふかだにむら
- 福井県:勝山市
- 深谷村
小字
深谷村
ふかやむら
深谷村
ふかやむら
深谷村
ふかやむら
東は
深谷村
ふかだにむら
- 山口県:岩国市
- 深谷村
天尾四ヵ村のうちで、
慶安四年の村高六四石が、享保一一年(一七二六)には少し減少して、高五三石余になっていたらしい。当時の人口一五八人、牛一五頭、馬一頭(享保増補村記)。
深谷村
ふかたにむら
深谷村
ふかだにむら
日野川の左岸に位置し、丹生山地を西へ入込む小谷中にある山村。対岸は
文安二年(一四四五)八月三日付越前国白毫寺十輪院東寺修造料足奉加状(東寺百合文書)があり、「越前国吉田郡藤島庄深谷白毫寺十輪院」と記されている。正保郷帳の
深谷村
ふかやむら
深谷村
ふかたにむら
深谷村
ふかたにむら
深谷村
ふかだにむら
深谷村
ふかたにむら
深谷村
ふかやむら
深谷村
ふかたにむら
深谷村
ふかやむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報