薦川村(読み)こもがわむら

日本歴史地名大系 「薦川村」の解説

薦川村
こもがわむら

[現在地名]朝日村薦川

日倉ひくら(九五二・五メートル)から流れ下る薦川左岸にある山村下流猿田さるた村。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図には「大国但馬分こは村 下」とみえ、「本納合七石壱斗八升 縄ノ高合弐拾壱石弐斗五合 家拾五間」とある。近世は村上藩領、のち幕府領となり幕末は米沢藩預所。正保国絵図には「薦河村 百百(ママ)石余」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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