藤下村(読み)とうげむら

日本歴史地名大系 「藤下村」の解説

藤下村
とうげむら

[現在地名]関ヶ原町藤下

松尾まつお村の西に位置する。同村境を藤古ふじこ川が南東流し、集落は中山道沿いに立地。村の南西自害じがい峯があり、壬申の乱で自害した大友皇子の首を葬った所と伝える。元禄七年(一六九四)の今須宿助郷帳(伊藤文書)に峠村とみえ、藤下はこれから転じたものとみられる。慶長郷帳にすりはり峠村とみえ、高二五〇石。元和二年(一六一六)の村高領知改帳にはとうげ村とあり、旗本竹中重門領。寛永二年(一六二五)の同氏宛徳川家光朱印状(竹中文書)には山中村内藤下村六四四石余とある。正保郷帳でも同領で、田高一二四石余・畑高一二五石余、ほかに小物成として山年貢御蔵入米六斗余があった。貞享四年(一六八七)の物成勘定帳(国立史料館蔵)に定免高一一九石とあり、元禄一二年の支配帳(同館蔵)によれば竹中氏家臣の竹中善太夫への給米金一二石のうち当村分は四石であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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