日本歴史地名大系 「藤八新田」の解説 藤八新田とうはちしんでん 埼玉県:川口市藤八新田[現在地名]川口市安行藤八(あんぎようとうはち)立野(たての)村の東に位置し、北は赤堀(あかぼり)用水を画して長蔵(ちようぞう)新田。東は伝右(でう)川を挟んで新兵衛(しんべえ)新田(現草加市)。ほぼ中央を越ヶ谷へ通ずる道が東西に通る。村名は開発人に由来し、当初は藤八谷(とうはちや)と称したといい(風土記稿)、その後も通称として用いられていた(文化三年「差上一札」藤波家文書)。田園簿では田六〇石余・畑九〇石余、関東郡代伊奈領。国立史料館本元禄郷帳では旗本羽太領となっているが、当村は明和六年(一七六九)七月から一二月までの伊奈家に対する諸役人足を三一人出役しており(「出人足触元帳」杉浦家文書)、依然として伊奈領であったと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by