川口市(読み)カワグチシ

デジタル大辞泉 「川口市」の意味・読み・例文・類語

かわぐち‐し〔かはぐち‐〕【川口市】

川口

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日本歴史地名大系 「川口市」の解説

川口市
かわぐちし

面積:五五・七五平方キロ

荒川を挟んで南は東京都北区、東は草加市・東京都足立区、西は戸田市・蕨市、北は浦和市、北東は岩槻市・越谷市と接する。また市域中央部に南から食込むように鳩ヶ谷市がある。市域北東部は大宮台地の南東端にあたり、起伏に富み小さな開析谷もみられる。木曾呂きぞろ神戸ごうど西新井宿にしあらいじゆくおよび東貝塚ひがしかいづか付近は標高二〇メートル前後で最も高く、そのほかは一五メートルほどの台地面を形成している。南部は荒川の低地、東部は綾瀬川・中川の低地およびしば川の低地となっており、さらに開析谷も含めて低地は市域の七〇パーセントを占めている。低地の標高は三―六メートルほど。台地を開析した谷には河川による後背湿地的な低地も形成されている。荒川低地と大宮台地が接する所に入間いるま(荒川)の流路跡とされる古い河道が認められ、下流が毛長けなが堀に通じる。この流路跡に沿って自然堤防が発達、芝川の出口を塞いで見沼湿地をつくり、のちに見沼穀倉地帯を形成する要因となったとされる。市域西部をJR東北本線(京浜東北線)が通り、中央部を国道一二二号(旧日光御成道)が南北に通る。平成四年(一九九二)東西を貫く大動脈東京外郭環状道路が開通。川口ジャンクションで南北を貫く東北自動車道および首都高速道路につながる。ほかに県道川口―草加線、主要地方道川口―上尾線などが縦横に通る。

〔原始・古代〕

大宮台地の南東端、開析谷が入組んだ鳩ヶ谷支台に遺跡が分布している。旧石器時代の遺跡は天神山てんじんやま遺跡・海道西かいどうにし遺跡・叺原かますはら遺跡など数ヵ所が確認されている。なかでも天神山遺跡ではナイフ形石器・角錐状石器・掻器・石核が、海道西遺跡では尖頭器・研磨器・ナイフ形石器・石核などが出土している。

縄文時代の遺跡は約一八〇ヵ所発見されており、中期・後期・晩期の遺跡が他の市町村に比べて多いのが特徴。叺原遺跡では草創期の細隆起線文土器が検出されている。早期では叺原遺跡・大原おおはら遺跡・赤山あかやま陣屋跡・野伝場やでんば遺跡・卜伝ぼくでん遺跡があり、撚糸文系土器が検出され、叺原遺跡では井草式土器を伴う竪穴住居跡が二軒発掘されている。東野とうや遺跡・赤山陣屋跡・卜伝遺跡からは沈線文系土器が出土している。卜伝遺跡では二二七基の炉穴群が発掘され、早期後半の貝殻条痕文系土器が多量に出土している。前期の遺跡には小谷場こやば貝塚(県指定旧跡)をはじめ天神山遺跡・叺原遺跡・赤山陣屋跡などがある。小谷場貝塚は川口市唯一の前期の貝塚で、ハマグリアサリ、カキ、ヤマトシジミで構成され、黒浜式土器から諸磯a式土器が出土している。


川口市
かわぐちし

2011年10月11日:川口市が鳩ヶ谷市を編入
【川口市】埼玉県
【鳩ヶ谷市】埼玉県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川口市」の意味・わかりやすい解説

川口〔市〕
かわぐち

埼玉県南東部,荒川を挟んで東京都に隣接する市。1933年横曽根村,青木村,南平柳村の 3村が合体して市制。1940年鳩ヶ谷町と新郷村,芝村,神根村の 3村を編入するが,1950年一部が鳩ヶ谷町として分離。1956年安行村,2011年鳩ヶ谷市を編入。中心市街地の川口は,旧入間川の河口に位置し,かつては小川口といわれた。江戸時代は日光御成街道沿いの宿場町,市場町として発展。この頃からすでに行なわれていた鋳物業が今日の川口を築いた。鋳物工場は小規模のものが多く,独特の煙突をもつ溶鉱炉キューポラ)があることから「キューポラの町」といわれる。このほか機械器具,電気機具,ビール醸造,繊維などの工場も多く,県下最大の工業都市である。北部で首都高速道路川口線と東京外環自動車道が交差する。北東部にある安行は苗木の生産地として有名。新郷貝塚,善光寺などの史跡や,安行の県立花と緑の振興センターなどがあり,その一帯は安行武南県立自然公園に属する。面積 61.95km2。人口 59万4274(2020)。

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