朝日日本歴史人物事典 「藤原保輔」の解説
藤原保輔
生年:生年不詳
平安中期の下級官人。正五位下どまりで右馬助,右兵衛尉などを歴任。寛和1(985)年,兄斉明と共に 弾正少弼大江匡衡,下総守藤原季孝を刃傷した罪で追われ,兄は近江で殺されたが保輔は逃亡した。また死の年には藤原景斉邸への強盗や源忠良,平維時の殺害計画が露見し,追及の手を逃れるため出家したが,捕らえられ獄中で自殺した。切腹のさい自らの手で腸を引きずり出すという壮絶な死にかたが『続古事談』にみえる。「強盗の張本,本朝第一の武略,追討宣旨を蒙る事十五度」(『尊卑分脈』)。後世,『今昔物語集』などに登場する伝説上の大盗賊「袴垂保輔」と混同され,アウトサイダー的な存在とみなされる。
(朧谷寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報