朝日日本歴史人物事典 「藤原斉信」の解説
藤原斉信
生年:康保4(967)
平安中期の公卿で歌人。名は「なりのぶ」ともいう。太政大臣為光と藤原敦敏の娘の子。長徳2(996)年参議となり,5年後には兄の誠信を越えて権中納言に進んだ。『大鏡』によると,兄は貪欲で人望がなく,自分が任官したいばかりに弟斉信に中納言の申請をやめさせた。しかし,道長から誠信に見込みのないことを告げられ,人望の厚い斉信は中納言を申請し,これに任じられた。恨んだ兄は悶死したという。寛仁4(1020)年大納言に進む。道長の信任も厚く,その娘の彰子,威子の中宮大夫や外孫敦成親王(のち後一条天皇)の東宮大夫を務めた。手紙のやりとりをしたのち頭中将斉信と対面した清少納言は,その輝くばかりの直衣姿をみて「物語などに素晴らしい描写のある貴公子とはこのことか」と感嘆している(『枕草子』)。朝儀に明るく一条天皇下の四納言のひとり。
(朧谷寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報