朝日日本歴史人物事典 「藤原朝方」の解説
藤原朝方
生年:保延1(1135)
平安末・鎌倉初期の公家。権中納言朝隆の子,母は朝隆の兄顕隆の娘。三条大納言,堤大納言と号す。永治1(1141)年鳥羽院判官代から六位蔵人となり,弁官などを経て安元1(1175)年参議,寿永2(1183)年正二位,文治4(1188)年権大納言。治承3(1179)年の後白河法皇鳥羽殿幽閉時さえ法皇と音信をとり続けるなど,法皇の近臣として活躍した朝方も『玉葉』では「白物」(愚者の意)と酷評されたりしている。傀儡子「さはのあこ丸」のパトロンでもあり,また能書家としても有名。<参考文献>飯田悠紀子「平安時代の国衙支配形態をめぐる一考察」(『日本歴史』1970年3月号)
(小川寿子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報