朝日日本歴史人物事典 「藤原楓麻呂」の解説
藤原楓麻呂
生年:生年不詳
奈良時代の貴族。藤原房前と阿波采女の子。房前の第7子。楓万呂とも書く。天平宝字2(758)年に西海道問民苦使(「もみくし」とも)に任じられた。以後,右兵衛督,大宰府(太宰府市)の次官,右衛士督などを歴任し,宝亀3(772)年参議。この間,藤原仲麻呂の乱(764)での活躍で勲4等を得,道鏡が下野国(栃木県)へ左遷された際,その都落ちを促す役を務めた。
(増渕徹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報