朝日日本歴史人物事典 「藤原範宗」の解説
藤原範宗
生年:承安1(1171)
鎌倉時代の歌人。治部少輔基明の子。母は民部少輔源延俊の娘。俊憲の孫で信西の曾孫に当たる。蔵人,安芸守,丹後守,中宮亮などを経て,嘉禄1(1225)年,非参議従三位に至る。いわゆる新古今期の後鳥羽院歌壇には参加していないが,順徳天皇内裏歌壇では常連として活躍,承久の乱(1221)までそのほとんどの歌合,歌会に出席した。また道家,教実ら九条家の和歌行事にも参加,乱後も貞永1(1232)年「石清水若宮歌合」や「洞院摂政家百首」などに出詠。その家集『範宗集』(『郁芳三品集』)は自選かとされる。『新勅撰集』以下に14首入集。親交のあった藤原定家はその死を聞いて驚き,「昨今無常殊以悲痛」と慨嘆している。
(田渕句美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報