精選版 日本国語大辞典 「順徳天皇」の意味・読み・例文・類語
じゅんとく‐てんのう ‥テンワウ【順徳天皇】
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(秋山喜代子)
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第84代の天皇(在位1210~21)。名は守成(もりなり)。後鳥羽(ごとば)天皇の第3皇子。母は藤原範季(のりすえ)の女(むすめ)重子(修明門院(しゅめいもんいん))。建久(けんきゅう)8年9月10日誕生。父の後鳥羽上皇とともに討幕計画を進め、1221年(承久3)に承久(じょうきゅう)の乱を起こしたが、幕府軍に敗れ、佐渡に配流された。学問を好み、また優れた歌人でもあった。故実書『禁秘抄(きんぴしょう)』、歌論書『八雲御抄(やくもみしょう)』の著作があり、歌集に『順徳院御集』がある。仁治(にんじ)3年9月12日、配所で没した。陵墓は京都市左京区大原来迎院(らいごういん)町の大原陵。
[山本博也]
1197.9.10~1242.9.12
在位1210.11.25~21.4.20
後鳥羽天皇の第3皇子。名は守成(もりなり)。母は藤原範季の女修明門院重子。1199年(正治元)親王,翌年土御門(つちみかど)天皇の皇太弟となり,1210年(承元4)父後鳥羽上皇の意志で即位。21年(承久3)倒幕の意志を固めた父を助けるため仲恭天皇に譲位。承久の乱に敗れて佐渡に配流され,同所で没した。佐渡院ともいう。故実書「禁秘抄(きんぴしょう)」,歌学書「八雲御抄(やくもみしょう)」を著した。
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…国道筋に縄文遺跡,国府川筋に弥生末期を中心とする千種(ちぐさ)遺跡がある。泉の里は順徳上皇配所の地で,明治末に整備された黒木御所跡,近くには世阿弥の配所跡とされる正法寺がある。【磯部 利貞】。…
…順徳天皇が著した有職書。2巻あるいは3巻。成立年代は数説あり一定しないが,和田英松によれば1219‐21年(承久1‐3)。《禁中抄》《建暦御記》ともいう。宮中の毎日恒例の次第,毎日事,臨時の大事,賢所,清涼殿のことから蔵人,殿上人,女官,勅書,宣命,改元といった天皇として必要な故実を記す。《群書類従》《列聖全集》《皇学叢書》に所収。【清田 善樹】…
…大阪府三島郡島本町広瀬に鎮座。後鳥羽天皇,土御門天皇,順徳天皇をまつる。社地は後鳥羽上皇の離宮水無瀬殿の跡。後鳥羽上皇は承久の変により,隠岐へ移され,1239年(延応1)没したが,その14日前,水無瀬信成・親成父子に遺書置文を下し,菩提を弔うよう命じた。よって翌年この地に御影堂を建てたのが当社の草創で,以後奉斎し,後土御門天皇が1494年(明応3)水無瀬宮の神号を奉じた。しかし,なお仏式で追修されてきたが,1873年官幣中社とし,同じく承久の変で阿波に移された土御門天皇の神霊,佐渡に移された順徳天皇の神霊をむかえ合祀し,1939年3月後鳥羽天皇700年祭に官幣大社に昇格,水無瀬神宮と改称した。…
…鎌倉前期の歌論。順徳天皇著。承久の乱(1221)ころ原形が成った草稿本と,加筆訂正して藤原定家に書き送られた精撰本とがある。歌の種類や制約(正義部),歌合や撰集の先例(作法部),歌に詠むべきことば(枝葉部),歌やことばの解釈(言語部),歌論(用意部)などについて述べ,6部6巻から成る。幽玄を賞揚している点,従来の歌学書を集大成した点に特色を有し,後世の歌学に大きな影響を与えた。【赤瀬 知子】…
※「順徳天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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