朝日日本歴史人物事典 「藤原胤子」の解説
藤原胤子
生年:生年不詳
平安前期,宇多天皇の女御,勧修寺流の実質的創設者。藤原高藤と宇治郡司宮道弥益の娘列子の子。鷹狩りに出た若い高藤が,宮道の家で娘と一夜をともにして生まれたといわれる。宇多天皇との間に敦仁(醍醐天皇),敦慶,敦固,敦実,柔子の4皇子1皇女を出産。侍従であった源定省(宇多天皇)と結婚し,仁和1(885)年維城を生む。仁和3年11月17日に定省が即位すると,翌年更衣となり,維城はのち敦仁と改名。寛平5(893)年1月従四位下女御。同年4月には敦仁親王が皇太子に立てられたが,国母になることなく死去した。翌年敦仁親王が即位すると,皇太后が贈られた。藤原氏傍流であった高藤は,醍醐天皇の即位により外戚となり,参議,正三位内大臣にまで上り,兄弟たちも大臣になった。外祖父宮道邸に勧修寺が建立され,高藤を始祖とする勧修寺流一門が成立した。
(服藤早苗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報