藤原良縄(読み)ふじわらのよしただ

朝日日本歴史人物事典 「藤原良縄」の解説

藤原良縄

没年貞観10.12.18(869.1.4)
生年弘仁5(814)
平安前期の公卿。備前守大津と紀南麻呂の娘の子。妻は橘入居(逸勢の父)の娘田村子。文徳天皇に信任され,蔵人頭,右大弁,勘解由長官などを歴任。内外の諸事を委任され,良縄もこれに応え,天皇没後は終生,その忌日に法華経を講じたという。父母への孝養も厚く,任国で没した父の様子を聞いて血を吐き気絶したといい,母が病床に伏せた折には寝ずの看病をしたという。『三代実録』は,「忠孝両全の人格者」と絶賛している。死去時は参議正四位下。山城国葛野郡にあった別荘(京都市西京区)には出家した母が住んだが,貞観4(862)年真如院を建立し文徳天皇の供養を行っている。

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原良縄」の解説

藤原良縄 ふじわらの-よしただ

814-868 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
弘仁(こうにん)5年生まれ。北家藤原大津の子。母は紀南麻呂の娘。天安2年(858)参議。正四位下にすすみ,左大弁,右衛門督(かみ),太皇太后宮大夫(だいぶ)などを歴任。文徳(もんとく)天皇に信頼され,父母に孝養をつくしたことでも知られる。貞観(じょうがん)10年2月18日死去。55歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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