藤原蔵下麻呂(読み)ふじわらのくらじまろ

朝日日本歴史人物事典 「藤原蔵下麻呂」の解説

藤原蔵下麻呂

没年宝亀6.7.1(775.8.1)
生年天平6(734)
奈良時代貴族藤原宇合と佐伯徳麻呂の娘家主娘 の子。宇合の第9子。名は倉下麻呂とも書く。天平宝字2(758)年山陽道問民苦使(「もみくし」とも。臨時地方行政監察官)となり,藤原仲麻呂の乱(764)の戦功で一躍従三位。神護景雲4(770)年,称徳天皇が死去すると,近衛大将蔵下麻呂は左大臣藤原永手らと共に62歳の白壁王(のちの光仁天皇)を皇太子に擁立した。のち,伊予土佐按察使,兵部卿,大宰府(太宰府市)の長官などを歴任,宝亀5(774)年,参議

(増渕徹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原蔵下麻呂」の解説

藤原蔵下麻呂 ふじわらの-くらじまろ

734-775 奈良時代の公卿(くぎょう)。
天平(てんぴょう)6年生まれ。式家藤原宇合(うまかい)の9男。母は佐伯徳麻呂の娘。天平宝字(てんぴょうほうじ)8年(764)藤原仲麻呂追討の功で,一躍従三位にのぼる。近衛(このえの)大将兼左京大夫,大宰帥(だざいのそち)などを歴任し,宝亀(ほうき)5年参議。光仁(こうにん)天皇擁立にも功があった。宝亀6年7月1日死去。42歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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