朝日日本歴史人物事典 「藤原蔵下麻呂」の解説
藤原蔵下麻呂
生年:天平6(734)
奈良時代の貴族。藤原宇合と佐伯徳麻呂の娘家主娘 の子。宇合の第9子。名は倉下麻呂とも書く。天平宝字2(758)年山陽道問民苦使(「もみくし」とも。臨時地方行政監察官)となり,藤原仲麻呂の乱(764)の戦功で一躍従三位。神護景雲4(770)年,称徳天皇が死去すると,近衛大将蔵下麻呂は左大臣藤原永手らと共に62歳の白壁王(のちの光仁天皇)を皇太子に擁立した。のち,伊予土佐按察使,兵部卿,大宰府(太宰府市)の長官などを歴任,宝亀5(774)年,参議。
(増渕徹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報