藤原親経(読み)ふじわらのちかつね

朝日日本歴史人物事典 「藤原親経」の解説

藤原親経

没年:承元4.11.11(1210.11.28)
生年仁平1(1151)
鎌倉前期の公卿藤原俊経と平実親の娘の子。高倉,安徳両天皇の蔵人,高倉上皇の判官代を経て文治1(1185)年に藤原兼実の家司となり,また源頼朝の推挙により右少弁となる。弁官を歴任して後鳥羽,土御門両天皇の侍読,文章博士となる。建永1(1206)年権中納言,承元2(1208)年従二位。高野山下向のとき,藤代の宿(海南市)で没した。儒者として右に出る者はいないと称賛され(『玉葉』),詩文にも優れ,願文などを多く著す。元久2(1205)年『新古今和歌集』真名序を作り,元久詩歌合では詩を作る。『愚秘抄』『十訓抄』には,それらの折の逸話が載る。『親経卿記』が残る。

(櫻井陽子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原親経」の解説

藤原親経 ふじわらの-ちかつね

1151-1210 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう),漢詩人。
仁平(にんびょう)元年生まれ。藤原俊経の次男。母は平実親の娘。文章博士(もんじょうはかせ),蔵人頭(くろうどのとう)をへて正治(しょうじ)2年(1200)参議。のち権(ごんの)中納言,従二位にいたる。後鳥羽(ごとば)・土御門(つちみかど)天皇2代の侍読をつとめ,「新古今和歌集」真名序(まなじょ)(漢文序文)をつくった。承元(じょうげん)4年11月11日死去。60歳。

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