朝日日本歴史人物事典 「藤原親経」の解説
藤原親経
生年:仁平1(1151)
鎌倉前期の公卿。藤原俊経と平実親の娘の子。高倉,安徳両天皇の蔵人,高倉上皇の判官代を経て文治1(1185)年に藤原兼実の家司となり,また源頼朝の推挙により右少弁となる。弁官を歴任して後鳥羽,土御門両天皇の侍読,文章博士となる。建永1(1206)年権中納言,承元2(1208)年従二位。高野山下向のとき,藤代の宿(海南市)で没した。儒者として右に出る者はいないと称賛され(『玉葉』),詩文にも優れ,願文などを多く著す。元久2(1205)年『新古今和歌集』真名序を作り,元久詩歌合では詩を作る。『愚秘抄』『十訓抄』には,それらの折の逸話が載る。『親経卿記』が残る。
(櫻井陽子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報