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藤原隆季 ふじわらの たかすえ

朝日日本歴史人物事典の解説

藤原隆季

没年:文治1.1.11(1185.2.12)
生年:大治2(1127)
平安末期の公卿。中納言藤原家成と加賀守高階宗章の娘の子。四条・大宮と号す。善勝寺流藤原氏長者。鳥羽院別当,後白河院有力近臣。鳥羽院の有力近臣であった父家成の権勢を背景に,7歳で但馬守に任じられたのを皮切りに,讃岐,越後,土佐などの受領となり,その昇進ぶりは「あさましき事」との評を得るほどであった。保元3(1158)年公卿となり,永暦2(1161)年参議,以後,権中納言,中納言を経て,仁安3(1168)年権大納言となる。治承3(1179)年には,臣下として異例の大宰帥就任。養和2(1182)年,病により官を辞し,東山にて出家。歌人としても知られる。

(上杉和彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのたかすえ【藤原隆季】

1127‐85(大治2‐文治1)
平安末期の公卿。中納言家成の長男。鳥羽上皇の寵臣家成の庇護のもとに7歳で院判官代から六位蔵人に出身し,以後但馬,讃岐,越後,土佐の守を歴任し,長く左馬頭を兼ね,ついで左京大夫に移り,1158年(保元3)従三位に昇り,参議,中納言,検非違使別当などを経て正二位権大納言に至り,大宰帥を兼ねた。その間,鳥羽院別当として上皇に近習し,さらに後白河院中では執事別当となって院務を掌握し,高倉院の執事別当も兼ねた。

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世界大百科事典内の藤原隆季の言及

【放氏】より

…こうして藤原氏の廷臣は放氏を恐れて自由な言動ができず,いったん神木が入洛すると,藤原氏によって大半を占められる朝廷の機能は大きく阻害されたので,放氏は興福寺衆徒が朝廷を脅迫する強力な武器となった。 藤原氏の廷臣が初めて放氏されたのは,1163年(長寛1)の参議藤原隆季の例である。隆季が園城寺をめぐる延暦寺と興福寺との抗争事件に際し,朝廷の評議において延暦寺の申状に賛意を表したというのが放氏の理由であるが,隆季が後白河院の有力な近臣であったことも,衆徒に目をつけられる因となったであろう。…

※「藤原隆季」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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