改訂新版 世界大百科事典 「藤原隆季」の意味・わかりやすい解説
藤原隆季 (ふじわらのたかすえ)
生没年:1127-85(大治2-文治1)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…こうして藤原氏の廷臣は放氏を恐れて自由な言動ができず,いったん神木が入洛すると,藤原氏によって大半を占められる朝廷の機能は大きく阻害されたので,放氏は興福寺衆徒が朝廷を脅迫する強力な武器となった。 藤原氏の廷臣が初めて放氏されたのは,1163年(長寛1)の参議藤原隆季の例である。隆季が園城寺をめぐる延暦寺と興福寺との抗争事件に際し,朝廷の評議において延暦寺の申状に賛意を表したというのが放氏の理由であるが,隆季が後白河院の有力な近臣であったことも,衆徒に目をつけられる因となったであろう。…
※「藤原隆季」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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