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藤堂高吉 とうどう たかよし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤堂高吉 とうどう-たかよし

1579-1670 織豊-江戸時代前期の武将。
天正(てんしょう)7年6月1日生まれ。丹羽(にわ)長秀の3男。はじめ羽柴秀長,ついで藤堂高虎(たかとら)の養子となる。関ケ原の戦いで功をたて,伊予(いよ)(愛媛県)今治(いまばり)2万石を領した。のち高虎に実子高次(たかつぐ)が生まれ跡をついだため,家老職として伊賀(いが)(三重県)名張(なばり)にうつる。藤堂宮内(くない)家の祖。寛文10年7月18日死去。92歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤堂高吉

没年:寛文10.7.18(1670.9.2)
生年:天正7.6.1(1579.6.24)
江戸前期の武将。伊勢国(三重県)津藩の家臣。丹羽長秀の3男で,母は若杉越前守の娘。佐和山(滋賀県彦根市)に生まれる。初め豊臣秀長の養子となるが,のち豊臣秀吉の命により天正16(1588)年,藤堂高虎の養嗣子となる。幼名仙丸。宮内少輔。文禄の役(1592)に出陣し,慶長5(1600)年の関ケ原の戦では,東軍に所属した。養父高虎が伊勢へ転封後も伊予(愛媛県)今治にとどまり,越智郡2万石を支配。寛永12(1635)年,伊勢の飯野・多岐2郡の内2万石に移され,のち名張へ移された。このため高吉の本領2万石は本藩の所領に加えられ,藩主高次の連枝ながら家臣の格に列した。高吉は剛腹大器の人物であり名門の出であるにもかかわらず,藩主に対して謙虚な態度を崩さなかったといわれる。名張で死去。

(長谷川成一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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