朝日日本歴史人物事典 「藤堂高吉」の解説
藤堂高吉
生年:天正7.6.1(1579.6.24)
江戸前期の武将。伊勢国(三重県)津藩の家臣。丹羽長秀の3男で,母は若杉越前守の娘。佐和山(滋賀県彦根市)に生まれる。初め豊臣秀長の養子となるが,のち豊臣秀吉の命により天正16(1588)年,藤堂高虎の養嗣子となる。幼名仙丸。宮内少輔。文禄の役(1592)に出陣し,慶長5(1600)年の関ケ原の戦では,東軍に所属した。養父高虎が伊勢へ転封後も伊予(愛媛県)今治にとどまり,越智郡2万石を支配。寛永12(1635)年,伊勢の飯野・多岐2郡の内2万石に移され,のち名張へ移された。このため高吉の本領2万石は本藩の所領に加えられ,藩主高次の連枝ながら家臣の格に列した。高吉は剛腹大器の人物であり名門の出であるにもかかわらず,藩主に対して謙虚な態度を崩さなかったといわれる。名張で死去。
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報