20世紀日本人名事典 「藤川忠治」の解説 藤川 忠治フジカワ チュウジ 大正・昭和期の歌人,国文学者 信州大学教授。 生年明治34(1901)年2月20日 没年昭和49(1974)年4月3日 出生地新潟県佐渡郡羽茂村(現・羽茂町) 学歴〔年〕東京帝国大学国文科卒 経歴佐渡の造り酒屋に生まれる。旧制新潟高在学中に河野慎吾主宰の歌誌「とねりこ」同人となる。東京帝大では大学短歌会に所属。昭和4年「歌と評論」を創刊・主宰。8年卒業論文「正岡子規」を刊行。法政大学予科などで教鞭を執り、26年信州大学教授。41年定年退官。のち鶴見大学教授などを務めた。歌集に「胎動」「練馬南町」「かりばね」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤川忠治」の解説 藤川忠治 ふじかわ-ちゅうじ 1901-1974 大正-昭和時代の歌人,国文学者。明治34年2月20日生まれ。法大,中央大,信州大,鶴見大の教授を歴任。昭和4年中村正爾(しょうじ)らと「歌と評論」を創刊,主宰した。昭和49年4月3日死去。73歳。新潟県出身。東京帝大卒。著作に「正岡子規」,歌集に「胎動」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by