藤田城跡(読み)ふじたじようあと

日本歴史地名大系 「藤田城跡」の解説

藤田城跡
ふじたじようあと

[現在地名]国見町山崎・藤田

源宗げんぞう(九八・八メートル)を中心とし、根小屋の一部が藤田の観月台かんげつだい山崎の小館やまざきのこだてにかかる。源宗山は、源頼朝が阿津賀志山合戦の折陣所としたことにより源氏山とよばれ(藤田町郷土誌)、のち源宗山になったものという。築城時期は不詳。貞和三年(一三四七)八月一日の吉良貞家寄進状(飯野八幡宮文書)に「伊達郡藤田城戦場」とみえ、南朝方の守る当城を攻め落した北朝方の奥州管領吉良貞家は、岩城いわき郡矢河子村(現いわき市)地頭職飯野いいの八幡宮(現同上)に寄進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android