藤目城跡(読み)ふじめじようあと

日本歴史地名大系 「藤目城跡」の解説

藤目城跡
ふじめじようあと

[現在地名]観音寺市粟井町 竹成

岩鍋いわなべ池の北西、標高一三六・五メートルの藤目山山頂にある。城跡からの展望は優れ、遠く北東方向に香川氏の居城天霧あまぎり城跡(現善通寺市)が見える。本丸跡は東西四六・八メートル、南北一四・四メートル。戦国期の城主は斎藤師郷で、師郷の先祖斎藤重親が貞治二年(一三六三)築城したと伝える(「斎藤家系譜略記」斎藤家蔵)。「南海治乱記」「西讃府志」によると、師郷は天正四年(一五七六)阿波の大西上野介の誘いに応じて、土佐長宗我部元親に服した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む