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義慈王 ぎじおうǓija-wang

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

義慈王
ぎじおう
Ǔija-wang

[生]?
[没]義慈王20(660)
朝鮮,古代三国の一つ百済の第 31代 (最後) の王 (在位 641~660) 。先王,武王の長子。王の時代は中国で唐が成立し,東隣の新羅は太宗武烈王の全盛時代で,百済の危機の時代であった。即位当初には西進する新羅軍を破っているが,逐次その勢力に圧迫されるにいたった。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

義慈王 ぎじおう

?-660 百済(くだら)(朝鮮)の国王。
百済王朝第31代。在位641-660。太子時代,海東の曾子とよばれた。631年王子余豊璋(よ-ほうしょう)らを日本に人質としておくる。はじめ新羅(しらぎ)(朝鮮)に積極的に侵攻したが,しだいに国政をかえりみなくなる。義慈王20年新羅と唐(とう)(中国)の連合軍に攻められ敗北。同年9月唐で病死。

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

ぎじおう【義慈王 Ǔi‐cha‐wang】

?‐660
朝鮮,百済の最後の王。在位641‐660年。義慈は諱(いみな)。即位後みずから新羅の40余城を攻略し,また高句麗と同盟して新羅を攻撃するなど,領土を拡大して新羅を窮地に立たせた。しかし,やがて享楽におぼれて左右の言をかえりみず,国政は乱れた。660年,唐・新羅連合軍の攻撃をうけて降伏し,太子らとともに唐に連れさられ,病死した。残存勢力の抵抗ははげしかったが,百済はここに滅亡した。【木村 誠】

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