日本歴史地名大系 「蛭子社跡」の解説 蛭子社跡えびすしやあと 秋田県:能代市能代町柳町蛭子社跡[現在地名]能代市柳町文化年間(一八〇四―一八)の能代町絵図(県立秋田図書館蔵)によると、柳(やなぎ)町の中央から北へ入る小路があり、二七間ほどで蛭子社に至る。柳町からの入口に鳥居があり、その東側に別当屋敷がある。享保一三年(一七二八)の能代町絵図(能代市役所蔵)では「光明院明神社地」となっている。恵比須社とも書く。「代邑聞見録」には「蛭子 表南方五十間 南北三十間」とあり、もとは稲荷社と同じく御材木場囲の外、つまり稲荷町にあったが、元禄年間(一六八八―一七〇四)の洪水で町割改正の時に稲荷社とともに柳町北側に遷座したとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by