蜷川館跡(読み)にながわやかたあと

日本歴史地名大系 「蜷川館跡」の解説

蜷川館跡
にながわやかたあと

[現在地名]富山市蜷川

蜷川城・太田おおた城・最勝寺さいしようじ城ともいう。熊野くまの川の東岸に築かれた館で、東側を現在国道四一号(かつての飛騨街道)が通る。文化年間(一八〇四―一八)に富山藩士安達淳直・直章が測量・製作した蜷川館跡之図(加越能文庫)によれば、現在の曹洞宗最勝寺境内の北側に隣接するかたちで土塁と堀で囲まれた矩形遺構が存在する。当時すでに遺構は失われつつあったようで、土塁の一部は崩され、堀跡は水田になっていた。館跡のそばにある諏訪社は館の鎮守と記され北東(鬼門)に位置し、館の正門は最勝寺に面した館跡の南東部に記されている。「三州志」は館主を蜷川氏と伝え、最勝寺開基の蜷川親綱の後胤治部少輔(一説に式部少輔)が最勝寺村に居館を築き、永正二年(一五〇五)四月月岡つきおか野において討死したとしていることから、蜷川氏が館を築いたのは永正年間より少し前のこととも考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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