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行方久兵衛 なめかた きゅうべえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

行方久兵衛 なめかた-きゅうべえ

1616-1686 江戸時代前期の武士。
元和(げんな)2年生まれ。若狭(わかさ)(福井県)小浜(おばま)藩士。三方(みかた)郡奉行在任中の寛文2年,大地震で冠水した三方五湖周辺の復旧のため,浦見坂に排水路をつくることを提案。2年がかりの工事で浦見川を完成させ,新田300haを生みだした。勘定奉行,関東組者頭をつとめた。貞享(じょうきょう)3年8月死去。71歳。名は正成。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

行方久兵衛

没年:貞享3(1686)
生年:元和2(1616)
江戸前期の若狭国(福井県)小浜藩士。水没した三方五湖周辺地域救済のため浦見坂を開削した。名は正成。寛永7(1630)年中小姓並で出仕の後,同20年家督,140石。作事奉行を経て万治2(1659)年郡奉行。寛文2(1662)年の大地震で三方五湖周辺が冠水したため,普請奉行梶原重安と共に排水路の開削に着手,翌年勘定奉行に転じたが工事を続け,人夫22万人,費用1700両かけて同4年完成。「掘かけてとおらぬ水の恨こそ行方故のしハさなりけり」などと非難中傷される難工事であったが排水に成功,400石の新田が出来た。延宝6(1678)年三方郡金山村新田御用加役,天和1(1681)年致仕。<参考文献>須磨千穎「行方久兵衛」(『若越山脈』4巻)

(隼田嘉彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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