行方城跡(読み)なめがたじようあと

日本歴史地名大系 「行方城跡」の解説

行方城跡
なめがたじようあと

[現在地名]麻生町行方

国神くにつかみ神社の西北約一キロ、字中城なかじようの丘上にある。鎌倉時代に常陸大掾氏の一族吉田忠幹がこの地に築城、行方氏と称したことに始まる。その子景幹(行方太郎)は鹿島総検校を勤め(鹿島神宮文書)、元暦元年(一一八四)二月には源義経の軍に加わり屋島で戦死した(常陸三家譜)。その子為幹は当地を離れて小高おだか郷に移って小高氏と称し(新編常陸国誌)、その後に下総関宿せきやど城主下河辺氏が入って居城とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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