行波村(読み)ゆかばむら

日本歴史地名大系 「行波村」の解説

行波村
ゆかばむら

[現在地名]岩国市大字行波

雲霞うんか山の東北麓、にしき川の西岸に位置する。対岸荒瀬谷あらせだには属村となっていた。寛永二〇年(一六四三)河内こうち郷を分割してできた村で、慶安四年(一六五一)の「御領分村一紙」に村名がみえる。

この時の村高は一八三石余で、うち田方三一石余、畑方七一石余、楮高八一石余で、楮への依存が大きい。その後楮高が少し減り、代りに畑地が増石され、享保九年(一七二四)には村高一八二石余、人口五四九人、牛四七頭、馬四頭で、いずれも荒瀬谷を含む(享保増補村記)製紙業で経済の不足を補っていた。庄屋保木ほうき村庄屋の兼務で、刀禰が行波と荒瀬谷に一人ずついた。河内組代官所属。なお村高は慶安頃から幕末まで、だいたい高一八〇石台を維持していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む