西久保城山町(読み)にしくぼしろやまちよう

日本歴史地名大系 「西久保城山町」の解説

西久保城山町
にしくぼしろやまちよう

[現在地名]港区虎ノ門とらのもん四丁目

明治五年(一八七二)に成立した町で、北は葺手ふきで町。古くは百姓町屋であり、西久保城山町または西之久保にしのくぼ町と唱えていた(「西久保城山町百姓替地願」「借用金之覚」井野家文書)。寛文二年(一六六二)の前掲替地願によると、当町は慶安三年(一六五〇)の火災の後、町の一部が召上げとなり、道の広小路化と肥前島原藩高力家へ与えられたことにより町域が狭くなった。さらに明暦三年(一六五七)大火の後当町は一円召上げられ、北条右近の屋敷地として与えられた。当町の百姓は寛文二年に多摩郡無礼むれ(現武蔵野市)に代地を与えられ、後に村名を西窪にしくぼ村と唱えている(借用金之覚)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む