西又村(読み)にしまたむら

日本歴史地名大系 「西又村」の解説

西又村
にしまたむら

[現在地名]土佐山田町西又

後入ごうにゆう山の北方、西流して穴内あなない川に流入するこうノ川中流域に位置する。北にしげもり(一一三八メートル)、東に赤塚あかつか(八五〇メートル)がそびえ、標高四〇〇―五〇〇メートルの間に民家および水田点在。江戸時代は韮生にろう(現香北町・物部村)に属し、韮生郷大庄屋の下に名本一名がいた。「西俣」とも記す。

長宗我部地検帳では天正一六年(一五八八)の長岡郡豊永地検帳に西又名として二町四反一三代(田分二四代・屋敷分一町八反四二代五歩・畠分四反四六代一歩)が記され、当村域は長岡郡内とされている。元禄地払帳では本田高二四・二六石、すべて山内監物知行、新田高は五八・七二三石でこれも同氏の役知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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