日本歴史地名大系 「西和泉村」の解説 西和泉村にしいずみむら 千葉県:成田市西和泉村[現在地名]成田市西和泉・新泉(しんいずみ)芦田(あしだ)村の東に位置し、北は荒海(あらみ)川を挟み大生(おおう)村。もとは和泉村の一部で、天和二年(一六八二)同村が東・西に分村して成立した。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高二七七石余、佐倉藩領。高は以後変わらず、享保八年(一七二三)山城淀藩領、延享三年(一七四六)三卿の田安領となり幕末に至る。ほか東和泉村と共有の切添新田として成立した幕府領の両水(りようすい)新田があり、幕末における当村分は二八石余(旧高旧領取調帳)。埴生(はぶ)郡内の田安領は一六村で、当村など根木名(ねこな)川と長(なが)沼東側の一〇村で外埴生とよばれる組合を形成していた。享保八年の淀藩領郷村帳によれば、小物成は夫役永七〇四文余・栗代永二四文・林下刈銭鐚一四八文・山銭鐚一貫七二四文があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報