西庄遺跡
にしのしよういせき
[現在地名]和歌山市西庄・本脇
和歌浦湾を臨む磯の浦から和歌浦(片男波)にかけて発達した広大な砂洲上に展開された古墳時代から中世にいたる海浜集落。欽明天皇一七年に設置されたと「日本書紀」に伝える海部屯倉の有力な候補地の一つである。金製勾玉の出土で知られる車駕之古址古墳、馬冑出土の大谷古墳、陶質土器で有名な楠見遺跡などとは指呼の距離にある。東西三〇〇メートル、南北一〇〇メートル程度が古墳時代の遺跡の範囲と推測される。現汀線から数百メートル離れているが、当時は汀線にかなり近接していたことが明治期の地図などから推測される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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