日本大百科全書(ニッポニカ) 「西文首」の意味・わかりやすい解説
西文首
かわちのあやのおびと
「かわちのふみのおびと」とも読み、書首とも書く。5世紀に朝鮮から渡来した氏族。首は姓(かばね)。倭漢氏(やまとのあやうじ)を東文氏というのに対し西文氏とよぶ。683年(天武天皇12)に連(むらじ)、685年に忌寸(いみき)、791年(延暦10)に宿禰(すくね)を賜姓。河内(かわち)国古市(ふるいち)郡古市郷(大阪府羽曳野(はびきの)市古市)を本拠とした。『古事記』応神記にみえる百済(くだら)より『論語』『千字文』を貢上した和邇吉師(わにきし)(『日本書紀』では王仁(わに))は、西文氏の始祖である。『古語拾遺(こごしゅうい)』に蘇我麻智(そがのまち)が三蔵を検校(けんぎょう)したとき、秦(はた)氏が物品出納を行い東文・西文氏が其(そ)の簿(ぼ)を勘録(かんろく)したとみえ、文筆を専門としたことがわかる。学令(がくりょう)によれば、大学生は倭漢氏と西文氏の氏人である東西史部(やまとかわちのふひとべ)から採用することになっている。6世紀後半ごろ船史(ふなのふひと)氏に圧倒された。古市の西琳(さいりん)寺は西文氏の氏寺である。
[前川明久]