朝日日本歴史人物事典 「西洞院時慶」の解説
西洞院時慶
生年:天文21.11.5(1552.11.20)
安土桃山・江戸前期の公家。飛鳥井雅綱の孫で,安居院僧正覚澄 の子。伯父飛鳥井雅春の猶子となり河鰭家を相続し,さらに天正3(1575)年西洞院家を相続し右衛門佐と名乗り,名を時通と改めた。同19年7月従三位に叙せられ,名を時慶と改名。慶長5(1600)年1月参議,同16年3月右衛門督に任じられ従二位に昇った。この昇進は,娘たちが禁中へ入り,なかでも3女慶子は後陽成天皇の後宮に入り皇女ふたりを生んだことと関係するだろう。寛永1(1624)年出家,法名は円空。その日記『時慶卿記』は,大きな時代の変革期を生きぬいた公家の日常生活を記すだけでなく,公家の公務であった禁裏御番が社交の場であったことをも伝えている。酒をこよなく愛した人物であった。<参考文献>熊倉功夫『寛永文化の研究』
(藤田恒春)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報