イギリスの哲学者、政治思想家。イングランドのウィルトシャー州マームズベリに生まれる。スペインの無敵艦隊の来襲を聞いて母がホッブズを早産したという。「恐怖と私は双子として生まれた」ということばは彼の政治理論の心理的根拠を潤色するために使われた。オックスフォード大学卒業後、キャベンディッシュ伯William Cavendish,1st Earl of Devonshire(1552―1626)の息子の家庭教師となって大陸に旅行し、ケプラーやガリレイの活躍を知る。第2回、第3回の大陸旅行のおり、幾何学に興味をもち、またデカルト、メルセンヌ、ガッサンディを知る。手稿のままで回覧された彼の最初の著作『法学要綱』The Elements of Lawが主権の不可分性と絶対性を主張するものであったため、ピューリタン革命の発端となった長期議会の弾劾が始まると、身の危険を憂慮して1640年にフランスに亡命し、その地で1651年に主著『リバイアサン』を完成。これが共和制の擁護とみられる側面をもっていたため宮廷側の不興をかったが、共和制下のイギリスに帰国して、王政復古の宮廷にもいれられた。しかし帰国後も、ブラムホールらと激しい論争を交わし、また彼の思想が無神論として禁圧されるなど、92歳で没するまで波瀾(はらん)に富んだ生涯を送った。
[小池英光 2015年7月21日]
ベーコンやデカルトと同じく彼も、知識は教会の権威によってではなく、理性の使用によって獲得されると信じていた。しかし方法としては、ベーコンの帰納法ではなく、幾何学をモデルとする演繹(えんえき)的方法を採用した。それゆえ最重要なことは定義の問題であった。学問とは名辞や命題の処理であり、これらが実在とどうかかわるかを考察した。この点で彼は現代の分析的哲学の先駆者ともいえる。彼は実在するものを個々の物体だけに認めたので、抽象名辞や普遍名辞には実在は対応しないと考え、普遍名辞は単に個々の名前のクラスの名前とした。この唯名(ゆいめい)論の立場の背景には、教会の権威の思想的基盤であるスコラ的実在論に対する批判がある。
[小池英光 2015年7月21日]
彼はガリレイの自然科学とイギリス特有の経験論的傾向から独自の形而上(けいじじょう)学的唯物論を展開した。この世界に実在するものは物体のみであり、いっさいの事象は物体とその機械的、必然的運動とする点はデカルトと同じであるが、さらに彼は運動の極限としてコナトス(圧、傾動、努力)なる潜在的な運動性を考えた。これによって物体の運動のみならず、人間の知覚、感情、行動までも説明しようとする。外物の運動が感覚器官に圧力を加え、生理的に脳に伝えられる。その運動の残存として記憶が成り立ち、判断や推理の作用もここから説明する。さらにこの運動が心臓への微細な運動をおこし、生活力を増大する傾向にあるときには快の感情が、逆の場合には不快の感情が生ずる。これが原因となって動物的運動(意志による運動)が引き起こされる、とホッブズは説く。
この機械論的解釈から彼は意志の自由に関して決定論をとり、これをめぐってブラムホールと大論争を交わした。ホッブズによれば、いわゆる必然性からの自由は幻想であり、自由とは単に拘束ないし強制からの自由である。道徳については、客観的な善悪の基準は存在せず、生活力を増大させる対象に欲求や意欲が向けられて善と考えられ、その逆は嫌悪や憎悪の対象として悪と考えられるという。それゆえ一般的な善悪の基準があるとすれば、それは国家等を通して設定されるとした。
[小池英光 2015年7月21日]
唯名論と機械論を基礎として、抽象的本質を否定したホッブズは、政治論をまったく非神学的根拠から構築する。自然状態にあっては人間は生存のために自分の能力を無制限に行使しうる自由(自然権)をもつ。しかし、この状態においては、「万人の万人に対する戦い」の状態になる。そこで利己心の最大の実現のために、人間は理性を働かせて逆に自然権の一部を放棄し、相互に契約を結び、人々を代表する一つの意志に服従する。ここに国家と主権とが成立すると考えた。彼の理論はいずれの部分でも著しい弱点をもつが、当時の神学的伝統からの絶縁を体系的に貫徹しようとした点に十分な意義を認めるべきであろう。
主著は『法の原理』(1640)、『物体論』(1655)、『人間論』(1658)、『国家論』(1642)、『リバイアサン』(1651)など。
[小池英光 2015年7月21日]
『永井道雄・上田邦義訳『リヴァイアサン』全2巻(2009・中央公論新社)』▽『田中浩著『ホッブズ研究序説――近代国家の生誕』(1982/改訂増補版・1994・御茶の水書房)』
イギリスの代表的な政治思想家。主著《リバイアサン》の名や〈万人の万人に対する戦いbellum omnium contra omnes〉の主張で有名。政治認識の哲学的構成を貫いた点で,近代政治学の創始者の一人とも評される。英国国教会牧師の次男として,ウィルトシャー,マームズベリー近郊に生まれた。1608年学位(バチェラー・オブ・アーツ)を得て,オックスフォード大学モードリン・ホールを卒業後,第2代,第3代デボン伯,F.ベーコンらの個人教師や秘書を務める。この間,3度にわたる大陸旅行を通してメルセンヌ,ガッサンディ,デカルト,ガリレイらと知り合い,知的視野を拡大する機会を与えられた。ピューリタン革命直前の40年,処女作《法学要綱》を非難されてパリに逃亡,11年間の亡命生活を強いられる。42年の《臣民論》を経て,主著《リバイアサン》を出版した51年,ひそかに帰国して共和国の新政権に帰順,以後,政争から離れて自己の学問体系の完成に努めた。そうした中で,《臣民論》とともに〈哲学三部作〉を構成する《物体論》(1655)と《人間論》(1658)とが順次出版されたが,それに応じてホッブズを無神論者とする批判が決定的となり,自由意志や自然像をめぐる深刻な論争に巻きこまれることになる。晩年のホッブズは,そうした論争を続けながら,内乱史《ビヒモス》(1679)を執筆するなど旺盛な著述活動を続けたが,瀆神(とくしん)を理由とする宗教界や王党右派からの激しい非難の中で著作の公刊を禁止され,不遇のまま91歳で世を去った。
こうした経歴が示すように,ホッブズの思想の骨格は〈内乱と革命〉の時代状況と対峙する中で形成された。そこからホッブズは,秩序と静謐(せいひつ)とを愛する生来の性格にも規定されて,解体する恐れのない国家像の構築をその主要な理論的課題として負うことになる。しかも,ホッブズの鋭さは,この課題に哲学的に取り組み,国家の成立メカニズムを,いっさいの実在を運動する物体とみなす物体論,人間を〈生命と感性と理性とをもつ物体〉と規定する人間論の上に基礎づけた点にあった。そこに提示されたのが,(1)自己保存への自然権をもつ人間が,〈暴力的死の恐怖〉の中で向き合う自然状態,(2)自己保存の手段の判定権を,特定の人格に絶対的に授権する契約の締結,(3)絶対主権への服従を存立条件とする国家状態の成立,を基本内容とする〈服従契約としての社会契約説〉にほかならない。絶対主権の正統性を社会契約説によって基礎づけたホッブズのこうした所説には,もとより,多くの矛盾や論理の飛躍が認められる。ホッブズが,認識論の不備に制約されて,欲望に支配される自然人が〈理性の戒律〉に従う契約主体へと転化する過程を理論化しえなかったこと,また,自己保存の手段の判定権を国家主権にゆだねることによって,自然権哲学の〈開かれた〉可能性をみずから閉ざしてしまったことは,しばしば指摘されるその例にほかならない。しかも,ホッブズの契約説は,人間の自由意志や原罪を否定し,教会に対する国家主権の優位を肯定するそのラディカルな主張のゆえに,キリスト教が支配的な時代の精神の中で孤立する運命を免れがたかった。しかし,こうした論理的不整合や思想的孤立にもかかわらず,ホッブズ主義は,近代の哲学史において画期的な位置を占めている。人間を〈創造者〉とする政治社会の成立過程を明らかにしたホッブズの努力によって,近代哲学ははじめて,〈文化形成の論理〉を政治認識に貫き,哲学の名に真に値する政治学を獲得したからである。その意味で〈国家哲学は私の《臣民論》に始まる〉と主張したホッブズの判断は,決して的はずれではなかったのである。なお,ホッブズ研究には残された課題が少なくない。それらのうち,伝記的事実の確定,トゥキュディデス研究や《ビヒモス》に示された歴史意識の解明,《リバイアサン》の過半を占める宗教論の考察などは,今後の研究がまたれる特に重要な課題である。
執筆者:加藤 節
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1588~1679
イングランドの政治思想家。近代政治学の創始者の一人。地方の国教会牧師の家に生まれ,オクスフォード大学卒。貴族の子弟の家庭教師としてグランド・ツアーを体験。ピューリタン革命をさけてフランスに亡命。亡命中の皇太子と交わり,主著『リヴァイアサン』を執筆,刊行(1651年)。許されて帰国し,王政復古後も政争から離れた学究生活を送った。
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…その後のイギリス経験論は,自然的経験世界に解消されえない経験領域の存在と,その世界を認識し構成する人間の能力との探究を促された点で,明らかにベーコンの問題枠組を引き継いでいるからである。その問題に対する最初の応答者は,ホッブズとロックとであった。彼らは,ともに,国家=政治社会を人間の作為とし,人間の秩序形成能力を感性と理性との共働作用のうちに跡づけることによって,自然的経験領域とは範疇的に異なる人間の社会的経験世界のメカニズム,その存立構造を徹底的に自覚化しようとしたからである。…
… 他方には,人間は実定法以前に自然権をもっていて,法はそれを保護するためのものだという自然権思想もある。T.ホッブズは,人間には法以前に生命防衛権があり,それを保護するために国家がつくられるが,国法が生命を侵そうとする場合には,個人は法や拘束を免れると主張した。J.ロックもこの自然権保護の制度として国家を設立したとし,その思想はアメリカ独立宣言を経て日本国憲法に流れている。…
…この合意の観念は,社会契約説の登場で大きく転換する。ホッブズは個人の自然権の全面的肯定から出発し,戦争状態克服のための構成員全員一致による政治社会設立を構想する。ここに合意の観念は政治社会そのものの構成原理の問題となった。…
…自然権は人間をあらゆる政治的・社会的制度に先立って権利をもつ存在と考える点で,それまでの特権中心の権利観を根本的に転換させた。自然権の概念をそれ自体として積極的に展開し,社会の構成原理の基礎に据えたのはホッブズである。ホッブズは個人の生存の欲求とそのための力の行使を自然権として肯定し,これに基づく戦争状態こそを自然状態とした。…
…この最も基本的な問に対する答として,従来いくつかの考え方が提示されてきた。西洋近代初頭の17世紀において社会科学の出発点をなしたホッブズとロックにあっては,この問題は次のように答えられた。 まずホッブズは,人間の自然状態を〈万人の万人に対する闘争〉の状態として想定し,このような状態のもとでは〈継続的な恐怖と,暴力による死の危険とが存し,人間の生活は,孤独で貧しく険悪で残忍でしかも短い〉ので,人間たちは相互に契約を結び,個々人に与えられた自然権の一部を主権者に譲渡したのである,と説明した。…
…これは,身分制の崩壊以後各人が自己の判断と能力とに頼って,それぞれの責任で運命をきりひらいていく個人主義の時代を背景にもつもので,すでに新大陸へ渡る清教徒の間には,現実にメーフラワー・コンパクト(1620)も結ばれていた。しかし,自然状態―社会契約―社会状態という図式を理論的に確立したのはホッブズであって,彼は自然状態を戦争状態と考え,その無秩序を克服するために絶対無制限の権力が必要であるとして,各人が特定の自然人または合議体を主権者として受けいれることを相互に契約するとき,その間に政治社会すなわち国家が生まれると説いた(《リバイアサン》1651)。これに対して,ロックはまず相互契約によって社会を構成した諸個人が,多数決によって選んだ立法機関に統治を委託すると説き,その目的を私有財産を含む個人の自由権の保障に求めることによって,権力に制限を加えた(《統治二論》1689)。…
…すなわち,自由は自由権として展開され,〈……からの自由〉とともに〈……への自由〉が強調されるようになるのである。伝統的な価値秩序に代えて新しい秩序を構成しようとしたホッブズは,自由とは〈障害の存在しないこと〉であると定義したが,それは自然権としての消極的自由とともに,契約による秩序の構成という積極的自由をも含意するものであった。そして,この第2の側面は,ロックにおいては,私有財産権の保障を基礎に,政治社会の構成員として秩序を自発的に形成することが〈人間の自由〉であるとされるようになるし,またルソーはよりラディカルに,政治社会の再構成の担い手になることこそが自由を意味するとし,さらに〈自由であるように強制する〉ことまで説くのである。…
…同様の主張は17世紀後半のジャンセニストにもあり,近代においては中世的な〈恩恵と自由意志〉の調和は破れたといってよい。ホッブズは,自然権にもとづいて自己保存の本能に従ってなされた自由な行為のみが存在し,他方意志があらかじめ欲求によって規定される限り自由意志は存在しない,と主張した。デカルトは自由意志を理性活動にだけみとめて,理性的である限り意志の自律と自足を主張した。…
…一方で,人間の本能は壊れている以上欲望は歯止めを失い止まるところを知らず,そのままでは欲望の衝突と争いは不可避であるとし,そこで人間は言葉によって取決めを行いルールを設定しそれを正義と呼ぶのである,という考え方が存在する。この考え方はソフィストにまでその源をたどることができるが,近世においてこの考え方を徹底して主張したのはホッブズである。ホッブズは,人間は言語によって想像の自然の流れ(=本能の秩序)から切り離されてしまっており,そのままでは人間は自己欺瞞的自尊心vain‐gloryによって相互不信の状態におちいらざるをえない,と説く。…
…これは笑いの一面,それもとりわけ重要な一面を言い当てているだろう。笑いの定義のうち,ホッブズが《人間論》(1658)に述べているところがとくに有名である。ホッブズによると笑いとは〈他人の弱点,あるいは以前の自分自身の弱点に対して,自分の中に不意に優越感を覚えたときに生じる突然の勝利〉を表すものだというのだが,この〈笑い=優越感=勝利の表現〉という考え方は,永らくヨーロッパの人が笑いを考える際の定式となってきた。…
※「ホッブズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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