日本歴史地名大系 「西片貝村」の解説 西片貝村にしかたかいむら 群馬県:前橋市西片貝村[現在地名]前橋市西片貝町北は三俣(みつまた)村・下沖之郷(しもおきのごう)、東は東片貝村、南は広瀬(ひろせ)川で天川大島(あまがわおおしま)村、西は清王寺(せいおうじ)村・一毛(いちけ)村。太田道灌状(島原市教育委員会蔵)によれば、文明九年(一四七七)九月二七日太田道灌など上杉方は白井(しろい)(現北群馬郡子持村)を出発し、「強而片貝へ出陣」している。一〇月二日には荒巻(あらまき)、引田(ひきだ)(現勢多郡富士見村)などに陣を築いた。山内上杉氏の所領を書上げた年月日未詳上杉氏上州所領目録(彦部文書)に「大胡庄之内」として片貝村がある。 西片貝村にしかたかいむら 新潟県:長岡市西片貝村[現在地名]長岡市西片貝町・若草(わかくさ)一丁目・中貫(なかぬき)町一丁目東片貝村の西に隣接する。同村および常願寺(じようがんじ)・栖吉(すよし)・中沢(なかざわ)・野崎(のざき)などの諸村に通じる道がある。もとは東片貝村とともに片貝村を称した。元和四年(一六一八)の長岡藩知行目録に村名がみえ、高四七二石五斗余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報