西田部村
にしたべむら
[現在地名]栗源町西田部
岩部村の南、苅毛村の南東に位置する。西を流れる栗山川に沿って続く台地縁辺に集落が展開する。「和名抄」にみえる匝瑳郡田部郷の遺称地とされる。中世は千田庄に属し、田部郷と称した。貞治七年(一三六八)三月日の平長胤寄進状(香取文書)によると、長胤は「千田庄多□□□田地壱町」を香取社に寄進している。また文安元年(一四四四)四月一六日の常瑞避状(房総古文書雑纂)には「千田庄田部郷馬場備前守跡 但、除諸給分」とあり、千葉介胤直(常瑞)が海上郡飯沼円福寺(現銚子市)の大蔵卿法印に避進めている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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